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クラウドでまた負けた日本。何故だ?続き(2010//7) 

クラウドを実現すべくNTTやKDDを相手に筆者がロータスで活動したことは既に述べた。

あれは1990年代後半のことだった。

この活動はIBMがバックにいて、欧米の主要キャリアを対象にしていたが、国内のベンダーにも声をかけていた。NECは参加したいと言ってきたし、ニフティーもサービス提供を真剣に検討した。

 

どうなったか、というと、NTTは神田電話局にサーバーセンターを作り、それをNTTPCコミュニケーションズが営業した。某銀行のメール系をアウトソースしたのが成功事例だろう。KDDも真剣にサービスを立ち上げようとしたが、利益が出なかったので中止になった。

 

当時はクラウドという言葉よりも、ASPという言葉が流行る前で、筆者が推進したビジネスモデルはASPというモデルに吸収されていった。ASPの末路については言うまでもなかろう。しかし、分割前のNTTでの小さな成功が分割後に様々な地域会社等でASPやホスティングサービスとして広まったことは我が国のIT産業振興に些かなりとも貢献したと自賛したい。

 

クラウドという言葉とビジネスモデルはGoogleが始めた。筆者も1990年代後半、富士通に買収されたばかりのNiftyやBiGlobeのNECにクラウドサービスの概念を伝え、プロモーションしなかった訳ではなかった。しかし、これらの企業は、KDDとも似ているのだが、今それをやって儲かるのか?という問や、ASP,ホスティング普及の動きのなかに何時しか埋もれてしまった。

 

肝心のIBMは、社内のキャリア推進派が企業システム推進派に敗れて力を失ったり、何よりロータス本社がキャリアビジネスを理解していなかった。これは日本でも同様で、要らぬ苦労をした。例えば、ロータスはキャリアグレードNotesという製品を作って、これはキャリアにしか売りません、と言ったので、NTTデータなどは喜んで大金を払ったのだが、これを一般企業にも売ります、とやってしまったのでNTTデータが激怒した。ロータス本社に文句を言うと、我々は6ヶ月も待ったんだ、と言われて返す言葉に窮した。キャリアの世界では投資のサイクルは10年なのだが、PCソフトウエア会社にとって、それは永遠に近い時間だったのだ。

そういう訳で、ロータス本社のキャリアプログラム部隊は壊滅し、無念ながら筆者は別の仕事を探す仕儀になった。

 

以上の歴史を振り返ると、米国は日本にクラウドを秘密にして来た訳ではないことが分かる。問題は、むしろクラウドというビジネスモデルを租借してGoogleやSalesForceを実現できなかった日本のIT産業にある。

 

次回は、何故そうだったのか、どうすれば良かったか、を概観したい。