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「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(2010/9/30)

こんなことを筆者如きが申し上げて良いものかと思うが

 

マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で言っている、資本主義の発生とキリスト教プロテスタンティズムの勤労の精神が深い関係があるというのは、違うんじゃないか?

 

マックス・ウェーバーは世界の宗教を比較検討して、だからそうなんだろう、と言っているらしいが、完璧な理論ではないらしい。欧米で、キリスト教国でもない日本が世界第二の資本主義国になったのはどうしてか、と専門家達が悩んでいるそうなので敢えて言ってみた。

確かに、日本の歴史は東洋の小国としては特異だ。明治政府が出来たころは中国を含め東南アジアはタイ以外は欧米の?民地で、朝鮮は鎖国を続けていた。アッと言う間に世界の海軍一等国になって欧米列強の尻馬に乗って中国に出兵し、ロシアと戦争して勝った。こんなことをしたのは日本だけである。

 

何故か?

乱暴なのは承知で、コアなところだけを言うと;

筆者は文明には2種類あると思う。1つは抽象的な概念を基に思弁を重ねて世界を理解し行動の根拠とするタイプで、もう1つは、現実をありのまま認識し、それを基に思考を重ねて行動を導き出すタイプだ。例えば、宗教は前者であり、科学は後者だ。 これらの分布には地域的な偏りがある。

ガンジー率いるインドが無抵抗主義でイギリスから独立を勝ち取ったのは前者の代表的な成功事例だ。

 

後者の例として、明治政府が、岩倉具視率いる欧米列強視察団から帰って来たとたんに尊王攘夷を捨てて欧化主義に転向して富国強兵策を始めたことを挙げたい。この政策変更は歴史が示す通り大成功だった。彼らの言い分はこうだろう。「そんなこと言ったって尊王攘夷じゃ国はやって行けんぞ」と。現実を素直に認めて、国が存続する為には何をする必要があるかを考えたのだ。リアリズムの極致と言うべきだろう。徳川幕府もそうだったし、昔の自民党もそうだった。

 

儲かるとなれば必死に働くのは世界共通だからハードワークの精神(勤労の精神とは言わない)は普遍的と言って良いだろう。欧州は宗教国家群(キリスト教)だが、ギリシャ文明の流れを引いており、中国やアラブから引き継いだ科学技術の種をうまく使って産業革命を起こした。現実(実験結果)をそのまま認識し、そこから現実(世界)を認識し、産業活動に導いた訳だ。同じリアリズムの流れで科学も発達した。それで資本も蓄積した。

 

中国は儒教という体面(体裁、メンツ)を保つための方法論の国で、おまけに周辺の蛮族に征?されたトラウマが変に自尊心を捻じ曲げてしまった。事実を正確に認識するよりも、体制を保ち、その場の論争にどう勝つかが大事なのだ。朝鮮も大同小異。インドはガンジー後数十年経済が停滞した。

日本は東海の島国であったことが様々な形で幸運だった。儒教の影響が無かった訳ではないが、それは軽微であり、大国に収奪された訳でもなく、周辺の海域を自由に航行出来る自由があった。これがあって、「そんなこと言ったって尊王攘夷じゃ国はやって行けんぞ」という判断を導く文化(リアリズム)を時代と共に醸成することができたのだろう。

 

日本の資本主義は欧米の借り物では無くて、その成立要件を満たした上での資本主義だと申し上げたら、貴君はどう思われるだろうか?