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政治と科学技術が分からない経済学者の罪(2010/10/10)

経済政策を政治だと思ってはいけない。

 

世界の経済学者の経済予測は当たらないので有吊である。天気予報と良く比べられる。例えば、ノーベル賞を受賞した経済学者が起業した、ロングタームキャピタルファンドは自社の理論を適用したモデルを構築して運用し、成功していたが、ロシアのリスク要因を入れ忘れて、ものの見事に予測が外れ、破産してしまった。

 

近代の経済学の特徴は科学技術の成果を基本にしている点だ。科学技術が余りにも成功したので、そのコンセプトを経済学にも持ち込んだのだ。そのコンセプトというのは実験室の論理だ。これは、実験室で同一の前提条件を基に同じ現象を何回も繰り返し再現しようとし、統計的に有意性のある特定の現象が特定し再現できたら、それを専門家間で討議し、大多数が認めたら、つまり民主主義の原理で、それをもって科学的な真理とするのだ。従ってこの種の真理は彼の前提条件が前提条件になる。つまり、前提条件が違えば正しいという保証はなくなるのだ。

 

経済学者はこの実験室の論理を経済の世界に持ち込み、様々なモデルを構築して現実の経済現象を説明し、更に将来を予測しようとする。前掲のキャピタルファンドはその好例だ。筆者は20代のころにサミュエルソンの「経済学」を読んで、様々なモデルが美しく説明してあって、感激したものだった。

 

日本の経済学者は大体米国の大学で経済学を学んで日本政府に重用されている。彼らは戦後活躍し、日本経済の復興に大きな貢献をした。しかしながら、彼らの成功を支えた政治的な環境があったことを忘れてはならない。戦後日本は世界のパワーゲーム(即ち、政治)を米国に任せ、経済の世界だけで生きて行こうとした。経済学者もその環境にいたから、純粋に経済学をベースに経済政策だけを提案し、実行を指導してゆけば良かった訳だ。

 

彼らは近年、日本の経済政策として中国、韓国と関係を密にし、共に栄えて行く提案をしている。日経新聞にその様な主張を読むことが多い。それに沿った政策が実行されている。思い返せば、日本の経済界は田中角栄の日中国交回復以来様子を見ながら、恐る恐る、少しずつ中国に投資を増やしてきた。日本の経済学者のアドバイスを信じ、中国が日本の様な近代国家に変身していることを祈りながら。五族協和の理想が再び裏切られないことを望みつつ。

 

しかしながら、先月の尖閣諸島のトラブルはこの祈りが裏切られるだろうことを予測させるには充分だった。何故か?経済学者のお薦めには上に述べた制限付きだったからだ。即ち、前提条件以外の状況には適切な判断が取れない。更に、政治的観点の欠如である。

 

改めて中国への投資を見直してみると、投資を回収することがとても難しいことに気が付くだろう。歴史を振り返ろう。中国政府は中国が東洋の覇権を握ることを戦後ずっと国民に言い続けて来たし、自力でそれが達成できないと分かったら、その為に海外から投資と技術を呼び込み、それを学習して自分のものとし、それを使って外国勢に打ち勝つという戦略に転換した。それで経済が成長した。軍備も拡充した。昨今の中国の態度は、「そろそろ覇権を取っても良い時期じゃないか?」と思って少し試した様に見える。中華思想は牢固として中国の中心思想であり続けている。過去数十年の変化はさざ波に過ぎない。

 

一方、日本の産業界がおかれた状況は、第二次大戦中に中国大陸で、中国軍に奥地まで誘い込まれ、兵站を伸ばし過ぎて疲弊した旧日本陸軍の状況に似ていないだろうか?「こんだけ投資しちまったらおいそれとは撤退できないだろうし、?が怖くて言うことを聞くだろう」と思われても仕方ない。

 

ではどうすれば良いか?そのいくつかを挙げれば、

 

1.  中国にはこれ以上直接投資しない。

 

2.  中国への投資は欧米経由にし、リスクヘッジする。つまり、中国に投資する欧米企業に製品を買ってもらうのだ。例えば、フォードに自動車部品を売る限り、フォードがどんなに中国でコケても、よもや代金を支払ってもらえないことはあるまい。

 

3.  このブログで既に書いたが、日本の文化は韓国や中国より欧米に近い。であれば、むしろ欧州の有望国と関係を密にすべきだ。個人的には、東欧、アイルランド、ドイツがお薦めだ。

 

経済学のプラットフォームで解決できない問題が生じた時は、別のプラットフォームを試すのが良い。ベトナム戦争の幕引きを主導したキッシンジャーはヒストリ案(歴史家)だったことを忘れてはならない。