出版不況という勘違い(2010/12/25)

媒体自体は商品でも産業でもない。

 

帝国データバンクが11月に発表した2009年度の決算調査によると、「出版業界総倒れの様相を呈している」そうである。出版上況だと言われて久しい。原因は「活字離れ」「若者の読書離れ」にあるという。携帯もパソコンもインターネットも無い時代では本が、つまり書籍がまとまった情報を流通させるほとんど唯一の手段だったから、「本を読む」というのはそれなりに知的作業を意味していた。本は紙の上にインクで文字を印刷したものにすぎないのに、活字になると内容の如何にかかわらず真実だと受取ってしまう悪い癖がインテリにはあった。岩波書店の種まく人のロゴなんかが載っていたら、それだけでその本から高貴な学術文化の香りがしたものだった。活字は情報を伝達する為の媒体にすぎなかったのに、代替メディアが無かったので、書籍には魔法の粉が大分かかっていたのだ。

 

インターネットやパソコンなどの情報端末が普及すると、その魔法の粉が少しずつ吹き飛んで、人は活字を余り読まなくなった。代わりに、文字を大量に読み、書き始めた。文字は主にディスプレイ上に表示され、キーボードを使って書かれる。ツイッター、メール、ブログ、様々なインターネット上のアプリケーションを人々が使いこなすのを見ると、人類の歴史上今日ほど文字コミュニケーションが発達した時代は無いのではないかと思われる。 

 

 出版上況を嘆く人々は、活字を紙に印刷して綴じた商品以外に売る物を思い付かないか売ることのできない人たちであって、こういうのは早晩淘汰されて行くのである。目端が利いて頭が柔軟に働く者は電子出版などのビジネスモデルに移行して成功するだろう。セオドア・レビットの「マーケティング発想法」に「昨年、1/4インチ・ドリルが100万個売れたが、これは人々が1/4インチ・ドリルが欲しかったからではなく、1/4インチの穴が欲しかったからだ。」という有吊な文句がある。読者は情報が欲しかったのであって、紙とインクの融合体が欲しかったのではない。

 

では、インテリが集まっている出版社が何故赤字になるのか?答えは“慣性の法則”にある。一定の速度で或る方向へ運動している組織に属し、その組織の為に働いている企業人はその運動エネルギーに逆らえない。頭で分かっているけど川の流れに逆らって泳ぐには超人的なエネルギーが必要なのだ。普通は小手先の改善効果に一喜一憂する。だが問題の根本原因に対処しなければ時間と労力を無駄にするだけなのだ。これは倒産というカタストロフに至るまで続く。筆者が昔勤めていたControl Data Corp.Nortel Networksがそうだった。いずれも一国を代表するIT企業で、社員が6万人以上いた。

 

いや、ここで言いたかったことは、こんなケチなことではない。言いたかったのは、「出版業界が没落しつつあるのは、活字印刷という情報のメディアに固執したからだ。だから、メディアに載せるコンテンツを主体にビジネスモデルを構築しなければ生き残れない、ということなのだ。日本には巨大なメディア産業がいくつもある。新聞がそうだ、放送局もそうだ、インターネットサービスプロバイダもそうだ。電話会社もそうだし、電力会社も電力というコンテンツを生成流通させるメディアだし、金融機関はお金というメディアの流通企業だ。これらの企業は伝統的なメディアの形態がIT技術の為に変革を迫られそれに上手く適応しないと、筆者がかって勤めた会社の様になりかねない。そして適応するのがどんなに難しいか、JALを見れば分かる。

 

だが、成功例もある。PanasonicIBMだ。