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原子力立国政策の断末魔(2011//14)

集中から分散のパラダイムシフトにイニシアティブを

 

東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されました方々に心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復旧復興をお祈りすると共にと福島原発での決死隊の活動と勇気に深い敬意を表明します。

 

で、TVやインターネットで逐次状況変化を追跡しているが、TVの説明は断片的で全体を組織的に解説したものは無いかと探していたら、大前研一氏の解説がYouTubeに3月14日アップされたのでご紹介したい。http://www.youtube.com/watch?v=U8VHmiM8-AQ にアクセスを。複雑な問題を俯瞰的に短時間で分かり易く説明する能力には脱帽する。このビデオを見ておくと、後のTVやインターネットの報道が構造的にすっきり理解できる。

 

筆者が勤務していた米国Control Data社のスーパーコンピュータの顧客は原子力研究所などが多かった関係で日本の原子力立国政策に対してシンパだったが、どんなに高度な技術でも想定外の事態には対処できないという現実を見せ付けられると、「想定外の事態が発生しても巨大災害に至らない」技術に進むのが正解だと思うに至った。 集中と分散の考え方である。

 

原子力発電はこれくらいにしておいて、例えば自動車くらいの大きさと価格の発電装置を各戸、各町村が1台ずつ装備すれば、その内1台が爆発しても被害の程度は知れている。太陽光とか風力とか、ヒートポンプとかを使えば良いし、ビルは大抵ボイラーを装備しているから、これに小型タービンをつないで発電し、近隣のユーザに売電すれば良い。コンビニがこれをやってもよいだろう。従って、既存の電力会社の役割はこれらの設備のリース、保守、地域全体のスマートグリッドの構築と管理運用になる。原発の様な企業の枠を超えるものは国に売却する。

 

原発推進派は、福島の場合は特殊で、ここを直せば大丈夫というだろうが、物事は本質の変化を認識したうえで検討しなくてはならない。実は日本は集中から分散化で大成功した例と大失敗した例を歴史の事実として持っている。  太平洋戦争開戦直後の1941年、英国東洋艦隊の旗艦Prince of Walesは日本海軍航空機の雷撃及び爆撃により沈没せしめられた。この事実に世界の海軍関係者は衝撃を受け、以降各国の海軍は航空機を主とする新たな艦隊編成を急ぐ事になる。一方日本軍はこの事実を看過し(あるいは仲間内の論理から)戦艦大和、武蔵の建造に邁進する。大和の最後は皆が知る通りだ。

 

戦艦から航空機へのパラダイムシフトをもたらしたのは何かと言えば、それは航空機技術の発展による戦闘用航空機の機能拡大だろう。このアナロジーを世界のエネルギー政策に適用するならば、「日本は集中型発電社会から分散型発電社会システムの移行で世界を主導できる。」というシナリオが成り立つのではないか。鍵は、日本のヒートポンプ類の技術がそれを可能ならしめる程度に成熟しているかどうかだ。