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企業の信用力が国家を上回る時(2011//8)

外国企業を手玉に取れる人材が自社にいるか?

 

8月2日の日経新聞朝刊1面の「一目均衡」欄で「企業の信用力が国家を上回る時」と題して米州総局編集委員の藤田和明氏がコラムを書いておられる。趣旨は「2000年、ムーディーズによる日本国債の格付はトヨタを下回った。同じ事が米国でも起る。『健全なバランスシートを持ち、グローバル展開で収益を最大化できる企業は、景気循環の波にも柔軟に対応する手段を持つ。民間部門と公的部門の信用力の逆転現象は、米国の金融危機がもたらした一つの断面といっていい。』『過去のアルゼンチンやメキシコの債務危機でも、多くの企業は問題なかった』。」である。これは筆者が以前ブログで書いた「企業中心の社会をつくろう」、に関連するので、以下コメントしたい。

 

歴史を振り返れば、国家があって国家の軍があって、軍が領土を拡張するとその範囲で商業が発展するというのが典型的な国家産業像だが、それが逆転するというのだから歴史的な大事件だ。コカ・コーラやメルクなどがその例だそうだが、アップルをみればもっと良く分かる。アップルは頭脳機能を米国に置き、東アジアで生産した商品を日欧米で販売している。企業は絶好調だが、米国の雇用の助けにはならず、東アジアに広く薄くお金を落としている。シンガポールに本社を移さないのはスティーブ・ジョブスが病気だからじゃないか、と勘繰りたくなる。

考えてみれば、太平洋戦争に負けて軍事国家が破綻しても三井三菱などは生き残った。何故か?企業の最優先事項は儲けて会社を継続することであり、その為に資源(リソース)を最も効率的に使う様に組織化するからだ。三菱重工が終戦直後、鍋釜を作って生き延びて来たことを知るは少ないだろう。一方国家はしばしばロマンと空想の対象になり、その様な国家は現実によって破綻する。第三帝国、ソ連、大日本帝国、満州国など20世紀は失敗例に満ちている。日本の民主党政権もすでに世界で破綻証明済みの空想的国家を作ろうとしているがその顛末は既知の通りだ。

 

この記事のメッセージは、投資家には、国債を売ってグローバル企業の社債を買いなさい、ということだろうし、日本の企業人には、日本国政府に依存しないで、早くグローバルに独自の経営ができる様にならないと危ないよ、と言うことだろう。トヨタやSONYは既にそうなっているし、三菱重工と日立が連合しようとしている。これらの企業には「今さら」なのだろう。こういう世界企業が規模の大小を問わず増えることをのぞむ次第だ。

 

心配なのはNTTとかである。ドコモはかって2002年ころi-modeを世界に広めようとして1兆5000億円の大損をこいたのだった。意気や壮とすべきだが、残念ながら日本国内で大事にされ過ぎたので世界では通用しなかったのだ。自分なりにその理由を調べたのだが、一言で言うと人が育っていなかった。時間をかけて人を育てたKDDと比べて良く分かった。近頃NTTグループが海外企業を買収し出している。海外企業を手玉に取れる人が育っているのだろうかと、心配だ。総じて、日本国内で大事にされた企業(例えば、電力とか鉄道)は自分のドメスティック度を自問した方が良い。

 

しかし、この記事は「個人の幸せにとって国家より企業の方が重要」とまでは言っていないだろう。だが、破綻した国家、破綻寸前の国家に生きる者にとって、この様な信用力に高い企業に勤められる事は大きな救いだろう。どんなに高いインフレ率になってもそれに見合う給与の増額が期待できるからだ。だが、クビにならないという保証は無い。やっぱり自分の住む国家は健全でなければ。