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成功の報酬と代償(2011//16)

社会主義変革を成し遂げた為に失ったものとは?

 

先般、民主党の党首と幹事長が、マニフェストを実現できないことを陳謝した。政権交代の根拠を政党自身が否定したのだから、民主党尾はマニフェストを書き直して再度選挙で国民に信を問うべきだろうが、マスコミも世論も何も言わない。民主党のマニフェスト成立の胡散臭さを国民も感じ取っていたからだろうが、それで済ませてしまっては、国民がその意思を国政に反映させる手段を否定するようなものだ。なぜ政治家の品質がこんなに劣化してしまったのか?

 

「日本人とユダヤ人」の著者山本七平氏が、いわゆる明治大正昭和の「政治活動家」の行動を規定するものが何かについて、どこかの著作で述べておられたが、それは「食べてゆかねばならない」ということだったと記憶する。身も蓋もない話だが、達見だと思う。どんな男でも好きな女ができれば結婚するだろうし、結婚すれば子供が生まれる。子供が生まれれば育てなければならないし、それには衣食住の為のお金が要る。実家に経済的余裕がなければそれは政治活動から得るしかない。従って金の為に政治活動をすることになる。

 

それをしない男は井戸塀政治家になるのであり、従って最後には政治生命を失うことになる。筆者の親戚にも、神童と呼ばれて育ち、立憲政友会の国会議員になり、保証人になって財を失い、井戸塀政治家になって親戚に迷惑をかけた者がいた。

 

坂本竜馬が幕末に活動できる程成長できたのは、その実家が豊かだったからであり、彼が江戸の千葉周作の剣道場に留学できたのは本家の仕送りがあったればこそ、なのだ。次の時代のリーダーはこの様な地域のリーダーの家(庄屋とか、下級武士とか)から出るのは歴史が証明している。

 

だが、日本の社会主義革命が成功の頂点にあった70年代、日経ビジネス誌には「社畜」ということばがあった。会社という檻のなかで飼い慣らされた社員を指すのだが、社畜を飼育できる装置を装備できるのは、日本の優れた頭脳を集中的に採用した一流企業だったし、それに準ずる企業もそれを真似た。この様な会社の社員は資産を持たない。会社を離れたら生きてゆけない。落ちたら猿以下になる政治家として立候補するリスクテイクなど望むべくもない。おまけに、バブル時に借金して買った自宅の価値が下がって経済的に身動きが取れない。こういう状況が、「地バン、看バン、カバン」を既に与えられている2世、3世の議員の数を伸ばし、従って政治が家業になっていった。 例えば、あの人、例えばこのお方とか。この様な地バンを持たない政治家は政治家として生き残って行くために業界団体の様なパトロンを得ようとし、その団体に従属するようになる。生き残るためには仕方がない、と言えようが、望ましいことではない。

 

当然、これらの政治家には長として会社の様な組織を動かした実績もない。実績が無い者に役所という巨大組織運営を期待するのはそもそも無理だ。それに、小選挙区制という環境下でサバイバルするべく自身を最適化して来た政治家に国際的な見識を期待するのも、そもそも無理な話だ。無理な期待はいつか破綻する。というか、もう既に破綻している。これらは成功の代償と言って良いだろう。

 

明治維新後の富国強兵に日本が成功した大きな理由の一つは、組織化し運営する能力と経験をもっていた武士階級を太政官政府が巧みに取り入れたからである。武士階級は既に無いから、それに代わるものはどこにあるかというと、それは民間企業の経営者階層だろう。この階層が政治に出て来れる環境が必要だと思う所以である。昔は政官民の強固なトライアングルがあったが、政のレベルがここまで下がったら、外部から補強せざるを得ないのではないか?だから、「企業中心の社会を作ろう」というのをもっと具体的に、象徴的に言うと「経団連会長をやったら次は総理大臣をやれる社会にしよう」ということなのだ。