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 日本語って最高に強力な武器なのに(2013//29)

英単語をカタカナで表記して格好良いか?

 

6月27日の日経新聞に“リスク・ケア・・・  NHKは外国語乱用  男性、精神的苦痛と提訴”という見出しの記事が載っていた。興味深いのでコメントしたい。

 

記事は“NHKの放送番組で外国語が乱用され、内容を理解できずに精神的苦痛を受けたとして『日本語を大切にする会』の世話人、高橋鵬二さん(71)(中略)が(中略)慰謝料を求める訴えを名古屋地裁に起こした。(中略)訴状によると、NHKでは報道、娯楽番組を問わず、番組内で『リスク』『トラブル』『ケア』などの外国語が多用されている(中略)と指摘。日本語でも容易に表現できる場合でも使われており、公共性が強いNHKが日本語を軽視するような姿勢に強い疑問があるとしている。”とある。

 

『日本語を大切にする会』は美しい日本語の表現を守ろうとして提訴に及んだのかも知れない。外国語をカタカナ表記すれば格好良いとする風潮は日本中に見られる。英語に限らず、外国語をカタカナ表記すれば夢や良い雰囲気を与えられるから、それはそれで良しとすべきだろうが、報道機関がそれをやれば美しい表現どころではない。正確な意味が伝わらなくなる。例えば、トラブルはtroubleのことなのだろうが、この訳語として、困難、悩み、苦しみ、問題、など幾つもの日本語の名詞や、心配する、という動詞が対応する。“トラブル”がどの日本語に対応するのか、分からなくなる。英語では全く違う発音(スペル)もカタカナでは区別が付かないという問題も従来から指摘されている。

 

だが、問題の本質は格好良さや正確さではない、言語は文化の本質だからだ。

 

我々はあらゆる場面で言語を使う。駅のアナウンスも道路の標識や看板も言語を使う。報告書や論文やメールを書くのは他者とコミュニケーションする為だし、一人であれこれ考え自分の考えを纏めるのに言語を使う。だから、言語は知的生産活動のレベルを決める強力な武器なのだ。

 

それを示すエピソードを2つ挙げる。1つはノーベル物理学賞受賞者の益川敏英氏。彼はほとんど全く外国語ができない。世界に通用する物理の論文は英語で書くのが普通なのに。ということは、彼の論文は(彼の頭の中で)日本語で書かれたことになり、日本語が彼の思考と論理を記述するに足るものだということになる。

 

もう1つは、日本に留学してアニメのファンになって帰国した中国人留学生の話。帰国して政府高官になった後でも、日本語でセーラームーンごっこなどをした時の楽しい思い出を語ったが、その同一人物が中国語で仕事の話しをする時は別人の様だったという話しだ。女性にとって『私』は日本語では、わたくし、わたし、あたし、とか状況に応じて多様な表現があり、セーラームーンはそれを使い分けていた。中国語では男も女も『私』は『我(wo)』しかない。これが言語としての中国語の限界なのだ。だから、セーラームーンの話をする時、そのお淑やかさ、可愛らしさ、おしゃまな感じを表現するには日本語でなければならない。 “愛”という字を、いとしい、とか、かなしい、と読む繊細さは、英語のLOVEでは表現しきれない。

 

科学論文と子供向けアニメという両極にある文化を表現するのに日本語で使われているということは、日本語の表現領域が非常に広いということを意味する。この様な日本語の能力は我々の強力な武器なのだ。我々は意識しないでこのメリットを享受している。例えば、ハングル語は早い話、全てカタカナの様な言語だから複雑微妙な心理や論理を効果的に表現するには限度がある。中国語は読む為だけの言語だったのを魯迅が日本の言文一致体運動の影響を受けて読み下しできるようにして始めて日常にも使える様になった言語だ。だから未だに自分を『我』としか表現できないのだ。(科学論文は、発想や考察の方向性を共通化するという点で、文化だ。) 

 

だから、日本語で表現できることを、格好良いからというだけで英単語をカタカナで表現するなどという軽薄なことをNHKは止めた方が良い。

 

 『続く』