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日本語って最高に強力な武器なのに、の2(2013//11)

新しい書き言葉を! 国語学者の奮起を求める

 

1995年は日本のインターネット元年だった。日経新聞主催で大々的なセミナーが開かれ、当時話題だった、ホワイトハウスに住んでいる猫の声が聞けるサイトを作った某氏のプレゼンを筆者も受けた。その席で某氏はHTMLページ上の様々なアイコンを示し、アイコンを使ったダイナミックリンクの説明をして、アイコンがアルファベットを並べた英単語より視覚性に優れることを示し、「人間って視覚的な生き物ですからね」と言ったことを覚えている。

 

確かに、筆者は英語の他に仏独伊を少々齧ってみたことがあるが、欧米人は単語や名前をどう発音するかにとても神経質だ。音は時間の経過と共に変化する1次元の媒体で、それをアルファベットで表現する欧米語は1次元の言語と言って良い。微妙な音の変化を再現する為に、印刷した場合のページの占有面積は日本語と比べて大きい。欧米語を読むという作業は、文字を目で追ってそれを音に変換し、それを意味に変換するというプロセスを取る。手間がかかる。

 

日本語や中国語は漢字を使う。漢字はアイコンの様な2次元のグラフィック言語だ。見て一瞬で意味に変換できるので欧米語より効率が良い。日本語の文章は、漢字だけを拾い読みすれば大意が分かる。微妙なニュアンスを読むときは漢字の間にある平仮名や片仮名を一緒に読めば良い。筆者は中国語、ハングル語も齧ってみたことがある。中国語は語順で意味を構成する。大意はそれで伝えられるが、微妙な情感を伝えられるには不足だ。だから中国からの留学生はセーラームーンのことを話すには日本語を使うことになったのだ。

 

更に、筆者は中学高校のころ漢文が大好きで、唐詩を読んで良い気持ちになっていたのだが、後年中国語の勉強を始めて暫くすると中国語のドライな精神構造が見えてきて、自分は唐詩を全く誤解したまま育ったのではないかと思うに至った。つまり、中国語を読み下し文で読むとその瞬間に中国語は中国語ではなくなり、日本語になってしまうということだ。敷衍すれば、日本人は中国人を千年以上誤解したままであり、中国という屏風に写った己の影を中国だと誤解して来た、ということだ。

 

明治時代の言文一致体運動を受けて魯迅が漢文を改革したことは前回述べた。だがどんな改革も光と影がある。キリスト教の聖書の、明治期の漢文調の訳と現代語訳を比べれば、前者がはるかに意味が凝縮され音感的にも優れていることが分かる。言文一致体による文章の影は、同じ内容を伝えるのにだらだらとやたらと文字数だけを食うことだ。効率が悪く、美しくない。

 

これが現代にどう影響するか?ネット業界の主要課題は限られた面積のスマホやタブレットのディスプレイ上にどの様に効率的に情報を配置するか、ということだ。その為に絵文字やアイコンが多用されている。同様に、文章も表現の効率性が求められる。その為の基本的な方法は、カタカナを使わないことだ。NHKを提訴した高橋氏はリスク、トラブル、コンシェルジュなどの言葉を挙げている。これらは各々3,4,7文字のスペースを使う。これらに危険、問題、補助という既存の語を使えば、各々2文字のスペースで済む。これらは全て漢字だから、一瞬見ただけで意味が分かる。カタカナだと欧米語を読むのと同じ手間がかかる。

 

単語に限らず表現も、明治期の漢文調日本語はビジネス文書、科学技術用にも再評価されてしかるべきと思う。何故なら、読むことによるコミュニケーションがネット時代になった益々重要になって来たからだ。簡潔で正確な表現ができる日本語をツールとして我々が使いこなせるという事は、ほとんどの日本人が意識していないが、日本が世界で競争優位を築く強力な武器となっている。国語学者は奮起してこの目的に向かって運動して頂きたいと願う次第だ。